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CWS創作学校

創作コース

テキスト1

(前略)

 わかりやすい例として、大阪の大学で提出された作文のことを話しましょう。ぼくは神戸に地震があった年の四月に着任したんですが、ある一年生がこんな文章を提出してきた--その学生は地震で事故に遭った親しい友達の病室を訪ね、お見舞いする。はやく元気になって欲しいと願う。しかし、その友達は亡くなってしまう--彼女にとってはものすごく切実なはずの体験が書かれた作文を、ぼくは笑いながら読みました。どうしてか。それは、その体験をしない人にだって書ける言葉でしか書いていなかったからです。
 たとえば病室をノックする。「絶対花が出てくるぞ」と思ったら、やっぱりパッと花の描写がある。「絶対鳩が飛んでいるぞ」と思ったら、窓の外にはちゃんと鳩が飛んでいる--。(1)彼女が病院を訪ねて、本当に花がまず目に飛び込んで、窓の向こうの青い空に鳥が飛んでいるのを目にしたとしても、こういうシーンのときに必ずとり出される細部を注文どおり並べてしまったことで、その紋切り型にぼくは笑ってしまったのです。ぼくは特別に意地悪な人間ではない。しかし、彼女にとってはまっすぐ伝わるはずの「言葉」が、ぼくにはまっすぐ伝わらなかったわけです。
 たぶん彼女は子供のころから「思ったままを素直に書きなさい」と言われていて、このときもそう書いたのでしょう。自分の書いた言葉がさしだされる空間や場所、つまり「文学」や「小説」において、こうしたシチュエーションのときにどういうものが描かれ、どういう言葉がフィーチャーされ、どういう場面が特権的にとり出されるかということに対しては何の考慮もしないで、そのまま書いた。そうすると、言葉は彼女が思ったとおりには伝わらない。
 自分史を書こうとする人が最初にとらわれるのはこのことでしょう。自分ひとりの人生だから、それを大切なものとして描こうとする。けれども、他の人の人生と似たような行為、似たような興奮、似たような回想シーンがそこにあったとすれば、その人がそれを書いた理由がない--読者にとって、つまりrおよびsの部分においては、たんに「ありがちな」人生を「ありがちに」描いただけに見えてしまう。そう見えるのは、その書き手にとっての「書くという行為」が「作者」と「言葉」の間で完結してしまっているからです。「こう書いたらどのように読まれるか」ということに対して神経が行き届いていない。
 こう言うと、露悪的だと思われるかもしれません。「小説とはそんなものではない、もっと心をこめて書くものであって、こんなことは単なるテクニックの問題だ」というふうに。しかし、そのレベルで言うなら、よい小説が書かれるかどうかは、八~九割がテクニックの問題です。

 (2)ロラン・バルトが非常にいいことを書いています。
 かけがえのない友人が肉親を亡くし、ものすごく悲嘆に暮れているとき、いま彼を励ませるのは自分だけだと思い、彼もそう思っているというシチュエーションで、彼の悲しみを何とか和らげよう、慰めようとして手紙を書くとする。
 そのときに、フランス語ではピティエ(pitie)、あるいは動詞でアピトワイエ(apitoyer)というんですが、日本語に訳して「このたびはご愁傷さまです」と書きはじめると、すべてが台無しになる。
「愁傷」という言葉じたいは非常に強い言葉です。原義は「紅葉が冬近くなって霜枯れていくように心が傷む」という意味ですから、「私はあなたに対して愁傷の念を持っているという言葉そのものの含意は、辞書レベルでは、他よりも強い悲しみを表すわけですよ。しかし「愁傷」という言葉を使ったとたん、紋切り型の言葉ゆえのよそよそしさや白々しさが出てしまう。なぜなら、それは慣習のなかで、当の本人以外の誰しもが軽く使える言葉だからなのです。では、どうすれば自分の気持ちを友人に正確に伝えることができるのか――そう考える瞬間に人は作家になる、とバルトは言っています。
「愁傷の念」を誰よりも強く持っていても「ご愁傷様です」と言ってはいけないように、現実と言葉の関係は別だと考えてください。「自分はこう感じて、その気持ちをこう託したから、それは絶対読者に伝わるんだ」と考えていると、逆にものを読むときに、作者と言葉の関係を特権化して読むことになってしまう。つまり、最初に挙げた?Cの例のように人生において起こることしか書いてはいけないという感じになってしまうんです。
 (3)それを避けるためには、「テキストに書かれた『現実』」と作者が置かれた「日常世界という現実」とに、乖離があると考えてもいいですね。テキストと読者との間に起こっている現実は、われわれが生きている現実を構成するさまざまな物事とははじめから違うと考えたほうがいい。
 そうはいっても、ある種の小説を読むと、主人公に乗り移ったような気持ちになったりその情景が目に浮かぶようであったり、その出来事に気持ちがこもったりする。なぜそうなるのかというと、そうなれるように書かれているだけなんです。そこを間違えないようにしてください。もともと離れている『現実』と「現実」をくっつけるように書かれているだけなんです。小説を読んでいて「リアリティがある」とか「まことらしい」という印象を受けるときがあったら、それは、そのような印象を与える技術が使われているということです。
 放っておくと「テキストに書かれた『現実』」と「日常世界という現実」は離れざるをえないんです。「書かれた『現実』」と「現実」はもともと違う。もし同じならだれも苦労しない--おなかがすいたら「ビフテキ」と書いて食べればいいんだから。そんなことはありえないでしょう。われわれが生きていて、そこからいろいろな心理的、感情的、論理的ななんらかの思いを抱く「現実」が言葉に反映される回路と、その結果として書かれたテキスト(とそこに描かれた『現実』)がどう読まれるかという回路、このふたつは全然違うものだとまず考えないと、話は始まらない。そのふたつが一直線につながっていると思うと、いつまでたっても、自分はこう思うのに、相手はこう読んでくれないと思ってしまう。それを回避することから、「小説を書く」ことは始まるわけです。

(後略)

※お届けするテキストは縦書き、ここでは全26ページ中4ページを掲載しています。

第1回 課題

 今月の課題は、「夢」の描写です。「こんな夢を見た。」で始まる短篇を一作、書いてください。

条件

(1)「こんな夢を見た」で始めて、あとは結末まで夢の描写をしてください。「夢」を書き出しのためのネタに使うのではなく、夢の中のできごとに終始すること。目覚めて小説が終わる「夢オチ」も禁止です。
 自分が見た夢は、現実とはかけ離れていて、なかなか人には理解しづらいものです。それを伝達するには、丁寧な描写や比喩が不可欠です。そのため、無理に物語をまとめようとしたり、長く書きすぎるとかえって失敗しますので、気をつけてください。

(2)四百字詰め原稿用紙換算10枚程度で書いてください。ワープロ、パソコンを使う場合には、無理に20字×20行にするとかえって読みづらいので、40字×30行などにして、作品の最後に「原稿用紙何枚分」と記入してください

【註】

(1)そもそも、どうして彼女は「花と鳩」を目にしたか?
 恋するものが相手の美点しか目に入らないように、私たちは「ニュートラルに」世界をみているようでも、じつは「潜在的に選んで」世界を認識しています。「どうせみつからないだろう」と思って(既に「見つからない」結果を事前に選択したうえで)捜し物をするよりも、「必ずある」と思って(「見つかる」という結果を予期したうえで)捜すほうがみつかりやすい、というのもその一例です。

 ここでこの学生は、「本当に花がまず目に飛び込んで、窓の向こうの青い空に鳩が飛んでいるのを目にした」のでしょう。では、そもそも彼女はなぜ「花と鳩」を見たのか。
「そこに花があり、鳩が飛んでいた」から、というのは一見すると正当な答です。
 しかし、彼女はどうして「飾られた花」には気づいても、「部屋の片隅の雑巾」には気づかないのか。「窓外の鳩」はみえても、「窓枠の汚れ」はみえなかったのか。

 本当に気づかなかったとすれば、彼女は「病室には花が飾られ、外には(平和を連想させる)鳩が飛ぶ」というイメージを、病室に入る前から持っていて、それに合致するかたちでしか病室をみなかった、ということになります。無意識のうちに、かつて聞いたり読んだりした、ありがちな「病室」のイメージに侵されていたわけです。
 あるいは「他もみたけれど、イメージに合うものだけ書いた」のかもしれない。だとしたら、彼女は「私の体験」ではなく、見聞きしたイメージを反復しただけなのです。それでは、「私の大切な友人が死んだ」ことの悲しみを伝えることはできないわけです。

(2)ロラン・バルト
 エクリチュール(表象/記述)の内に書き手の歴史と社会に対する態度を分析し、文学における「形式-内容」二元論の破壊を提唱した思想家、文芸批評家。
「テクスト(文章)とは、他人の語った言葉を引用して作った織物(テクスチャー)である」として、特権的な「作者」や「私だけの言葉/表現」を否定した。この主張は、後にJ・デリダによって「では、「作者はいない」と語るあなたのその言葉は、誰によって語られているのか」との批判を受けるが、宮川淳、豊崎浩一、 金井美恵子をはじめ七〇年代以降の日本の文学、現代思想に大きな影響を与えた。
 代表的な著作に『エクリチュールの零度』『エッフェル塔』(ちくま学芸文庫)『恋愛のディスクール・断章』『文学の記号学』『S/Z バルザック「サラジーヌ」の構造分析』など。

(3)たとえば、大正から昭和初期にかけての「私小説家」に、葛西善蔵という作家がいます。「私小説家」といえば、田山花袋を筆頭に「自分の私生活をそのまま赤裸々に描く小説家」というイメージがありますが、葛西は「中央公論」に発表した、連作と呼んでもよい作品の末尾と冒頭を、次のように書いています。

 四月二日朝、おせいは小石川のある産科院で死児を分娩した。それに立合った時の感想はここに書きたくない。やはり、どこまでも救われない自我的な自分であることだけが、痛感された。粗末なバラックの建物のまわりの、六七本の桜の若樹は、最早八分通り咲いていた。……(「死児を産む」)

 死児を生む--こうした題の短篇を、自分は彼女の産まれた翌る月のある雑誌に発表しているが、実は、自分がそれを書きあげた三四日後に、彼女--ユミ子は、小石川のある産科院で健全な産声を上げたのだった。(「われと遊ぶ子」)ともに講談社文芸文庫『哀しき父 椎の若葉』より

「日常世界という現実」と「テキストに書かれた『現実』」とがつい重なってしまうように思うのは、一般的な「私小説」のイメージに依るところも大きいのですが、こうした「私小説の極北」と呼ばれるような作家でも、「日常世界をそのまま」など書いていないのです。車谷長吉がどれほど「小説を地で行っている人生」を送っているようにみえても、しょせんはフィクションにすぎません。たとえ小説に描かれているのとよく似た、ほとんど同じ体験を作者がしていたとしても、それが「小説」という商品として読者の前に差し出されるときには、これまでに多くの小説を読むことで(意識的にせよ、無意識的にせよ)体得している「小説のルール」に従った加工を経ているのです。

※車谷長吉については、『喧嘩の火種』(福田和也、新潮社)を参照のこと。