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CWS創作学校

創作コース

テキスト1 課題「夢」 評価:3

課題作品「天女」受講生名:H.B.

 こんな夢を見た。尻が冷たいので目を開けると、(1)見知らぬ部屋のコンクリートの床に直に座っている。壁は血豆のような色を(2)しているが、所々めくれていて地ではなく壁紙であるらしい。その上を植物が這い登り、花を咲かせている。顔を洗おうとして水を掬う両手の(3)ごときカーブを描く花びらだ。ナスタチウムに似ているが、厚みが違う。歌うように天井や壁を埋めている花の間から覗く葉も、水をかければ玉を作って弾くだろう。否応なく鼻に入ってくる匂いのせいで、(4)直射日光に長く晒された後みたいに頬が火照り、頭がぼうっとし始める。前夜の血液の高揚をもう一度味わいたくなるときのような気分でもある。最初は深々と呼吸していたが、そのうち頭も四肢も床に付けてコンクリートの匂いをかいだ。よほどしんとしている。こみ上げていたものが血管に再び吸収された。
 視界が徐々に明るくなる。裸電球と天井をつなぐ布製のコードに女が掴まって下りてくる。コードは音もなく伸びて切れる気配もない。女は、エナメルコーティングされた黒のタンクトップに、太腿の上の方までしかない揃いのスカートという姿だ。みぞおちは湯をかけ終えたばかりの艶を持つ。余分な肉のない二の腕と手首に腕輪を嵌めていて、手首のやつがシャルシャラいう。(5)つま先の出るデザインのサンダルを穿いた両足首にも、年季の入った真鍮の取っ手を丁寧に磨き上げたという感じで輪が光っている。背中には、うっかり落としたピンクの蛍光ペンに長時間染められたシーツのような色の羽が、飛び立とうとしている風情で生えている。
 彼女が床に足を着けた。私は上半身を起こす。掌の一部が、コンクリートの凹凸によって赤くなっていた。あー、暑い。近所から聞こえてくる風鈴の音のような声だ。額の汗を手で拭いながら、先端が床に触れそうな羽を動かす。エアコンの風速を「強」にしたくらいの風が吹いてきた。羽は一枚も抜けない。(6)夜店の綿菓子に薄荷パイプの薄荷を混ぜたような匂いがする。深々と吸い込んだ。笹餅を葉から取り外すときに漂う香りも底に流れている。(7)待った?ごめんね。私はかぶりを振った。ちょっと手間取っちゃったの、南の方。次は上手くやるから……一緒にやるでしょ?ああ、やるんだなと思った。ぼんやり女を見ていると声を立てて笑う。自分で望んで来たくせにと指差す。壁や天井の花の匂いが、深く吸うと肺まで花びらの色に爛れ、反りそうなくらい濃くなった。進んでここに来た気がした。口で浅く呼吸していると、だってその格好、と腰に手を当てて私の顔を覗き込んだ。この私が丈の短いスカートを穿いている。さほど大きくない二重の目は、周囲にそんなに明るい光がなくても、唾液に濡れた黒飴のように光っている。背中の向こうまで射とおされそうだ。中学生や高校生の頃、学年に一人はこんな子がいたと思わせる目だ。普段教室では目立たず、友達も決して多くはないが、一つは得意科目があって、ファンを自称する人間がクラスに何人かいるタイプではないか。唇を結んで相手の目を見つめる表情が、笑顔よりも強い印象を与えると思われる。彼女が口を軽く開くと、眼のすぐ下が脹らむ。涙がたっぷりと蓄えられていそうだ。高くはないがまっすぐ伸びた鼻が清潔に見える。唇は苺ドロップの舐め始めに似た色で、わずかに歯を覗かせる。肩に付くか付かないかの黒い髪は程よく空気を含み、シャギーを入れているせいで毛先が何方向かに撥ねて軽さを出している。
 綿菓子の甘さは薄れ、笹や手当たり次第に葉を毟り取った後の青い草の匂いとともに、強い酸味を持っていそうな柑橘類の香りが立ち昇った。幽かに塩気が含まれている。私は再び鼻で呼吸する。侵された内臓が元に戻り、意識が冷たく尖ってくる。
 忘れていることがあるような気がしてならない。後頭部が微弱な電流を流したように痺れている。思い出そうとすると痺れが強くなり、首にかけて小宇宙でも生まれそうな感じになる。
(8)もう、やめときなさいよ。女は羽を片方ずつ引き抜くと、胸の辺りにくっつけてぱたぱたさせた。そうしているうちに羽は胸の谷間から生えたようになった。首を仰け反らせて、風を体一杯に受けている。付け替えられるんだ、それ。うん、うちにまだほかの色のスペアがあるけれど、場所取るのよね、この手のものは。畳めないの?無理。廃れるはずだよね。「ね」の音を伸ばしながら、羽を背中に戻す。あのひとは助けないと。あれでもいろいろやってくれたのよ。女は目を見開いた後、鼻の付け根に皺を寄せて笑った。後ろに手を回し、痛っと顔を顰めながら大き目の羽を抜き取る。原石の不透明さを生かして作られた、色とりどりの石の腕輪を外して羽の軸に結えつける。呪文のようなものを囁きながら彼女がしごくと、腕輪が、際限なくシルクハットから出てくるハンカチの如く伸びていく。鎖状になった腕輪を音を立てて引き摺りながら、壁際に行き、花と葉の間を探って振り返り、何かを両手で包み込むようにして戻ってくる。
 大き目のトマトのような実だった。碧みを帯びて澄んでいる海の上、日がまさに落ちるというときに現れる(9)空の赤さもせつなさも一心に吸収した色をし、ナイフで突き刺せば果汁が勢いよく飛び出しそうなほど皮が張りつめている。女は腕輪をゆっくりと手繰り寄せ、先端の金具を果実にめり込ませた。花とも、笹や草とも違う、水分をたっぷり含んだ香りがした。今すぐかぶりついて全部食べてしまいたいと思った。果実をそっと床に置き、女は羽根を持って近付いてくる。体が動かない。これで見えるわよ。女が羽で私の鎖骨の辺りを掃くように撫でた。あ、という声しか出ない。
 彼女は目で笑うと羽を放り出して駆けていき、実を拾い上げて鳥の雛でも持つような格好で、手招きする。立ち上がったものの足が痺れて上手く歩けない。私の方を向いたまま女は人差し指を果実の先端に当て、すうっと下ろした。実はきれいに二つに割れた。中央に蛙の卵のように寒天質のものでくるまれた、夥しい数の種が見える。周りの果肉は本来、夕焼けをぎりぎり絞って抽出した液体を閉じ込めたが如き色をしているが、上に黒い黴のような点々が無数に生じており、その一つ一つが脹れ、全体として肝硬変患者の肝臓のようにでこぼこしている。
 初めて見たのね。女は脹らみの一つに指を当てた。粒は蛍の尻に似た色で光り、ぶぎゅっという音を立てて潰れた。赤黒い液が床に落ち、女が潰れた部分を抉り取った。女に促されて私もやってみる。粒が壊れるとき、先の尖ったもので刺すような痛みが心臓に走り、汗が額に滲む。そのうち頬の両側を汗が伝った。拭おうとした指先はこぼれた液の色に染まっている。嗅ぐと青臭い血の匂いがする。一ぺんにできないのかと問うと、やめておいた方がいいと手を振る。指先は白いままだ。かまわないと指を折り曲げ、黒ずんだところを鷲掴みにするように果実に突っ込む。鎖骨の辺りから胃、みぞおち、下腹部までが、焼け爛れた塊を押し当てられたまま固く絞られるように感じる。(10)飛び散った墨汁みたいな模様を見つめたまま、指全体に力を込めていく。

添削講師名:M.I.

【講評】

 はじめまして。今回から十回の添削を受けていただくわけですが、(後略)

※以降、作品全体に対する総評がつきます。

それでは細かい箇所を見ていきましょう。

【添削】

(1)「部屋」だということを書くなら、壁と天井を描けばいいでしょう。

(2)なぜ「しているが」なのですか? 逆接的につなぐ必要はありません。「していて」でいいのでは?

(3)「ごとき」という文語体が、文章の固さを出しています。意図的にやるとしたら、ここ以降の文章にもそうした固さを導入すればいいでしょう。トーンを揃えることは必要。

(4)抽象的なものをたとえるときに、抽象的なものでたとえてしまっては、けっきょくなんだかわからなくなってしまいます。(読み手が共有できない)あるエモーションを、「前夜の血液の高揚」という、これまたなにを示しているのかわからないエモーションで指し示そうとしても、難しいでしょう。たんに「直射日光に長くさらされた後みたいに、頭がぼうっとする」と書かれるならば、「直射日光にさらされる」という経験が多くの読み手にはありますから(少なくとも想像できます)、比喩表現として成立するでしょう。

(5)「爪先の出るデザインのサンダル」というのはいかにも説明口調ですから、「サンダルの先に突き出た爪先からつづく足首に」でどうでしょう。こうすれば、もっと「爪先」や「サンダル」を修飾して描写できます。

(6)「匂いがする」時点で「吸い込んだ」ことは自明。「匂いがする」だけでは「ふかぶかと」のニュアンスが消えてしまいますが、「匂いが肺の(胸の?)奥底まで届く」とすればOKです。

(7)〈?〉や〈!〉のあとは一マスあけるのがルールです。ここでは〈待った? ごめんね〉あるいは〈一緒にやるでしょ? ああ、やるんだと思った〉というふうに表記します。

(8)このあたりは非常によく書けています。話者がだれとも知れない間接話法(カギカッコを使用しないで処理する会話文)での会話の内容が、いかにも「夢」らしく、かつユーモアを感じさせるものとなっています。

(9)添削者としては、わかるんだけれど……(やっぱりイマイチかな)と思ってしまう部分です。「せつなさ」とか「うつくしさ」といった語は、使用するだけで読み手がひいてしまう場合があります。端的に言えば、これらは書き手のナルシシスムが前面に出てしまう表現なんですね。なるべくなら使わない方が賢明でしょう。おそらくそうした危険を冒してまで使いたい部分ではないでしょうから。

(10)この終わりかたは添削者個人としては好感を持ちました。いかにもといったオチをつけやすい「夢」の最後で、まだうしろに続いていくかのような余韻のある、しかし暴力的なまでに切断的な終わりかたというのは、できそうでできないんですね。いいと思います。

★実際の添削は、主に、A4横置き、縦書きでお届けしています。詳しくはeラーニング操作方法をご覧ください